昨日は憲法記念日でした。マスメディアやネット上でも憲法改正が話題に上っていますが、その議論の中心はやはり「第9条」です。
■ 理想と現実の狭間にある第9条
日本国憲法第9条は、戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認を定めた平和主義の核心となる条文です。国権の発動としての戦争や武力行使を永久に放棄し、陸海空軍などの戦力を持たないことを規定しています。
これはある意味で理想に近い憲法であり、世界各国がこのような憲法を持てば、戦争など起こるはずはないでしょう。
しかし一方で、この条文の背景には、米国をはじめとする連合国側が「日本には金輪際戦争をさせない」という強い意図を持っていたという事実もあります。「米国は軍隊を持っても良いが、日本は許されない」という構造は、どこか現在のイランの核開発を巡る国際情勢のダブルスタンダードにも似ているように見えます。
■ 吉田茂とマッカーサー草案
この憲法9条を深く理解するためには、憲法草案作成時に、当時の外相であった吉田茂がどのような行動を取ったかを知っておくことが大切です。
日本国憲法の制定時、日本側(松本烝治ら)が作成した独自の改正案は「保守的で現状維持に過ぎない」とみなされました。その結果、マッカーサーは1946年2月、GHQ民政局(GS)に独自の「マッカーサー草案」を作成させます。
当時外相だった吉田茂は、GHQが作成した草案が日本側の想定とあまりに異なることに驚愕しました。しかし、天皇の安全を守ることを最優先に考え、苦渋の決断としてこの草案を受け入れることにしたのです。
その後、首相に就任した吉田は(1946年6月)、憲法9条について「直接には自衛権を否定していないが、一切の軍備を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も放棄している」と国会で答弁し、徹底した非武装の憲法解釈を定着させました。
■ 朝鮮戦争とアメリカからの「再軍備」要求
しかし、国際情勢は急変します。1950年6月の朝鮮戦争勃発により、米国は日本を非武装の「太平洋のスイス」にするという方針を大きく転換しました。
1951年1月、対日講和交渉のために来日したアメリカのダレス特使は、日本に対して「数個師団規模の再軍備」を強く迫ります。これに対し、吉田茂首相は以下の理由から再軍備を頑なに拒否しました。
経済優先: 経済復興が最優先であり、軍備は日本の経済を破綻させる。
国民感情: 国民に再軍備を受け入れる心理的準備ができていない。
憲法の制約: 憲法9条の規定に明確に抵触する。
■ 圧力に屈しなかった結果
吉田茂は、「再軍備を迫るダレスを抑えてほしい」とマッカーサー(当時はまだ連合国軍最高司令官)に直訴して助けを求めました。マッカーサーが「今は軍備は不要だ」と同調してくれた結果、日本はアメリカからの過度な軍事要求を退けることに成功します。そして、最小限の自衛力(警察予備隊)のみを保持し、経済復興に集中する道を選んだのです。
以上のような熾烈な交渉の経緯を経て、現在の日本国憲法が運用され、自衛隊が創設されました。
もしあの時、吉田茂氏の粘り強い交渉と活躍がなければ、日本は米国の圧力に屈し、早い段階で本格的な軍隊を持っていたのかもしれません。

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