日本の報道を見ていると、現在の中東情勢において、イランが悪者として描かれている記事が非常に多いように感じられます。「イランは過激な宗教指導者によって自由を奪われており、多くの国民が弾圧を受けている」という論調が一般的です。
しかし、こうした描写はイランの歴史的背景を十分に踏まえたものと言えるのでしょうか。
最近、YouTubeで国際政治アナリスト・伊藤貫氏の解説動画(「一つの過ちが米国覇権の時代を終わらせるのか」)を観て、私は日本の報道に強い疑問を持ちました。
伊藤氏の説明によると、現在のイランの体制は、イラン国民が米英に対して抱く「深い不信感」の歴史から出来上がったものであり、私たちがイメージする単純な独裁体制とは異なるというものでした。そして、イランが現在の戦いを「自衛の戦い」と捉えている理由が、歴史的背景から詳しく解説されていたのです。
気になったので、実際にイランの過去73年を調べてみると、確かにイラン国民が「長期にわたり屈辱と干渉を受け続けた」と感じる理由が存在していました。
1.自国の民主主義を外国勢力に踏みにじられた瞬間(1953年)
1953年、民主的選挙で選ばれたモサデク首相は、英国系石油企業の利権構造に対抗し、石油の国有化を進めました。
これに反発した英国と、冷戦下でイランの共産化を警戒した米国は、CIAとMI6を使って秘密工作「アジャックス作戦」を実行。
モサデク政権は倒され、米英の意向に沿うパーレビ王朝が復位しました。
2.外国勢力が作った傀儡政権と秘密警察による恐怖政治(〜1979年)
パーレビ王朝は、伝統的な王家の血筋ではなく、軍人の家系から米英に担ぎ上げられた「都合の良い王」でした。この政権を裏で支えたのが、CIAやモサドの協力で設立された秘密警察 SAVAK(サヴァーク) です。この体制下で、自由や民主主義を求めるイラン国民は徹底的に弾圧されました。
投獄者: 8万〜10万人
拷問死: 7,000〜8,000人
3.アメリカが仕掛けた代理戦争の犠牲(1980年〜)
過酷な弾圧に耐えかねた国民は、1979年に「イスラム革命」を起こし、ついに親米独裁のパーレビ王朝を打倒します。しかし米国はこれを認めず、すぐに隣国イラクのサダム・フセインを支援し、8年間に及ぶイラン・イラク戦争へとイランを追い込みました。
この戦争では、イランは甚大な犠牲を払いました。
戦死者: 50万〜60万人
国内の死者(食料・医療不足など): 100万人以上
4.47年間、生活と未来を奪い続けた経済制裁
「イランが経済成長できず、軍事力を持てないようにすること」を目的に、イラン革命以降の約47年間、アメリカは現在に至るまで過酷な経済制裁を途切れなく課し続けています。
「反米感情」だけでは説明できない主権の闘争
この73年間の苦難の歴史を見ると、イラン人の中に「徹底的にいじめられてきいた」という強い被害意識があるのは当然だと言えます。
それと同時に、彼らには3000年の歴史を持つ「ペルシャ帝国」としての高いプライドがあります。だからこそ、「建国してわずか250年ほどのアメリカという国に、これ以上自分たちの運命をコントロールされてたまるか」という強い執念(自衛の意志)に繋がっているのです。
イランの行動は、日本の大手メディアが報じるような、単なる宗教的原理主義や盲目的な反米感情だけでは説明できません。それは彼らにとって、歴史から地続きの「主権を守るための長期的な闘争」なのです。
中東の複雑な問題を理解するには、現代の表面的な対立を追うだけでなく、その国が歩んできた「歴史の痛み」を知ることが不可欠なのだと、改めて痛感させられます。













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