今日の毎日新聞の夕刊に、太めが止まる記事がありました。「きれいになりすぎた海」ーーーー。そんな逆説的なタイトルのコラム(憂楽帳)には、瀬戸内海の苦い現実が綴られていました。
かつて高度成長期の広島では、工場排水の影響で赤潮が頻発し、海は悲鳴を上げていたといいます。それを救うために懸命な水質改善が行われましたが、皮肉なことに、今の海は「きれいになりすぎて」しまいました。魚介の栄養となるプランクトンまで消え去り、豊かな海の恵みが失われてしまったのです。
記事の結びにある、「きれいは正義だった。だが今は、濁りを受け入れることが豊かさにつながるのかもしれない」という言葉が、深く心に響きます。
私たちは無意識のうちに「清浄であること」を絶対の善とし、少しの濁りも排除しようとしてしまいます。しかし、生物が息づく場所には、ある種の「濁り」や「不純物」こそが不可欠な栄養源だったのです。
これは海の話だけではなく、私たちの生き方や社会のあり方、すべてに通じる真理ではないでしょうか。
健康な体を保つためには、一日1万歩をあるくのが良いと言われていましたが、近年では過度な運動は体には良くないと言われており、1万歩も歩く必要はないという意見も出てきているようです。
古来より「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」と言われますが、潔癖すぎる正しさよりも、多様な要素を飲み込む「寛容な濁り」こそが、真の豊かさを育む。瀬戸内海の魚たちが、そんな大切なことを教えてくれているような気がします。
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