公明党が自民党との連立を解消したことで、今後の首相指名選挙の行方が流動的になっています。
そうした状況下で、立憲民主党は、国民民主党の玉木雄一郎代表を野党統一候補として首相に推すべく、国民民主党をはじめとする他党にも協力を呼びかけています。
これに対し、玉木代表は、「首相になる覚悟はある」としながらも、「基本的な政策が一致していないのでは、指名してもらいたくない」という旨の慎重な姿勢を示しています。玉木代表の懸念の背景には、首相指名を受けることによって、入閣の要求や重要政策への譲歩など、事実上の連立政権運営の義務が生じるという認識があると考えられます。
一方、立憲民主党側が玉木代表を擁立しようと声をかけているのは、本来、共同で政権を運営する意思があるからこそと解釈できます。しかし、表面上は、具体的な条件や政策協定を提示することなく、「玉木代表の名前を書いてほしい」と呼びかけている状態です。
ここに、一つの「戦略的空白」が生まれます。
玉木代表がこの「政策協定なき一本化」の呼びかけをあえて受け入れ、何の約束も交わさないまま各党の票を集め、首相に指名された場合、文字通り、自らの名前を書いてくれた他党の意見に拘束されることなく、首相の座に就くことができます。
私は、この**「白紙の信任」による首相就任という手は、十分に「あり」得る政治的選択だと考えます。具体的には、「私の名前を首班指名の時に書いていただいて構いません」とだけ表明し、組閣やその後の政策運営に関する事前協定を一切結ばない**のです。
そして、首班指名が実現した場合、組閣人事を国民民主党主導で進め、閣僚ポストを独占することも可能となります。
確かに、このような形で誕生した政権は、国会内で安定した多数を確保できず、立法活動などで混乱を招く可能性が高いでしょう。しかし、そもそも、現状でどの党の代表が首相になっても、絶対過半数を確保できる見込みは低く、誰が政権を担当しても、政策の実現には同様の困難が伴います。
この「政策協定なき就任」という型破りなアプローチは、国民民主党の独自色を最大限に打ち出し、政治に緊張感と面白さをもたらすのではないでしょうか。
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