2025年6月27日金曜日

死刑執行について考える

 昨日、6月27日午前、神奈川県座間市で男女9人の殺害などの罪に問われ、死刑が確定していた白石隆浩死刑囚の刑が執行されました。

このニュースに接し、妻が私に問いかけました。「この刑を執行する方は、一体どのような気持ちで臨むのだろうね?」と。

具体的に、刑の執行には3名が同時にボタンを押し、そのうち誰のボタンが実際に刑を執行したのかは特定できない仕組みになっていると聞いたことがあります。現在もこの方法が取られているのかは定かではありませんが、いずれにせよ、誰かがその役割を担っていることに変わりはありません。その方の心境を想像すると、なんとも言えない複雑な感情が湧き上がってきます。私自身は、そのような役割を拝命することは到底できません。

皆さんはこの件について、どのように思われますか?被害に遭われた方々の代わりに、加害者である彼を処するのだという強い意思を持って、執行のボタンを押すことができるでしょうか?

私たちほとんどの人間は、人が殺される場面に立ち会った経験がありません。人間でなくとも、動物の命が奪われる瞬間を目にしたことのある人も少ないのではないでしょうか。私自身は、過去にヘビを殺したことや、父が飼っていた鶏を絞めて命を絶つのを見た経験があります。また、生きたウナギが調理される様子を見たこともあります。しかし、これらは50年以上も昔の出来事です。

人間は生まれながらにして、生き物を殺すことに本能的な嫌悪感を抱くのかもしれません。

だからこそ、死刑廃止という議論が度々浮上するのでしょう。根源には、上で述べたような生命への嫌悪感が横たわっているのかもしれません。

ただ、死刑廃止の是非を判断するのは、生きている側の人間です。残念ながら、殺された側の人々の意見は、もはや聞くことはできません。命を奪われてしまっている以上、これは致し方ないことと言えるでしょう。

しかし、もし殺された方々の意思を推し量ることができるならば、彼らは殺した人間に対し、報復を望むのではないでしょうか?

この点については、たとえ生きている私たちが、どれほど言葉を尽くしても、犠牲者の真の思いを完全に代弁することはできないのかもしれません。



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