9月20日付の毎日新聞朝刊に掲載された『なぜ先の大戦に至ったか』という記事は、石破首相が戦後80年に向けて発表する「先の大戦に至った経緯」の検証を国民一人ひとりが考えるきっかけにすることを意図しているようです。
この記事では、学習院大学の井上寿一学長が、開戦の起点と原因、戦争の長期化、そして教訓について論じています。
この記事を含め、これまで主流とされてきた開戦理由の説明には、ある共通点があります。それは、『日本はドイツの早期勝利を期待し、アメリカはすぐに和平に応じるといった、希望的観測に基づいて真珠湾攻撃に踏み切った』というものです。そして、これらの観測が外れた結果、敗戦に至ったとされます。しかし、この説明は本当に正しいのでしょうか?
こういう説明は、その結果を知ったあとでは、納得するものかもしれませんが、その結果が見えていないときには、希望的観測と言えないのではないでしょうか?
開戦当時の視点に立てば、真珠湾攻撃は『米国が奇襲攻撃の情報を知らない』という前提で計画されました。もし本当にその前提が正しければ、その後の戦況は大きく変わっていたはずです。しかし、実際には想定外の事象が多発し、日本側の計画は狂いました。これは、戦争の不確実性を示す一例に過ぎません。
さらに、ほとんど議論されないのが『もし日本が戦争を開始しなかったら、どうなっていたか?』 という問いです。当時、米国はABCD包囲網(アメリカ、イギリス、中国、オランダによる対日経済制裁)などを通じて、日本を追い詰めていました。日本がいくら戦争を回避しようとしても、米国が仕掛けてくる圧力にどこまで耐えられたのか、という視点も重要です。歴史は、単一の行動の是非だけで判断できるほど単純ではありません。戦争を避けた結果、日本が欧米列強の植民地にされていた可能性も否定できません。白人優位の植民地政策の歴史を鑑みれば、それが必ずしも良い結果だったとは言えないでしょう。」
過去の『結果』だけを根拠に、開戦の是非を単純に論じるのは、歴史の複雑さを見誤る危険性があります。私たちは、当時の人々の置かれた状況、政治的・経済的な圧力、そして『もし違う選択をしていたら』 という可能性を多角的に検証することで、初めて真の教訓を得られるのではないでしょうか。この歴史から、私たちが未来のために何を学ぶべきか、これからも共に考えていければ幸いです。
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