日本経済新聞の12月18日付のネットニュースで、次のような記事が出ています 。
『高市政権で安全保障政策を担当する官邸筋は18日、「私は核を持つべきだと思っている」と官邸で記者団に述べ、日本の核兵器保有が必要だとの認識を示した。発言はオフレコを前提にした記者団の非公式取材を受けた際に出た。同時に、現実的ではないとの見方にも言及した。』
もともとは、朝日新聞の記者が、オフレコ発言であったにもかかわらず、それをニュースとして取り上げたことから出てきた話です。
ネット上でも、この発言に関してはさまざまな意見が紹介されています。大半は「核保有は日本の外交的孤立を招くだけでなく、かえって日本の安全保障環境を劇的に悪化させる」というような批判的な意見です。
これに対して、この発言を擁護する意見もあるのですが、大半のマスメディアでは紹介されていません。
X(旧Twitter)では、以下のような意見が散見されます。
「現在600発所有し、2030年には1000発になろうとしている中国が、何抜かしとんだ!」
「核保有発言だけで恐ろしいのでしたら、核を600発以上持ち5年後に1000発になる中国をなぜ烈火の如く非難しないのでしょう。」
「やっぱ馬鹿だよね共同通信。何故、高市総理が『核保有発言』の発信者を更迭しないのか?簡単だよ。『その通りだ!』と思う国民が大多数で『問題だぁ!』と言ってるのは左派マスコミだけだからだよ」
私は、この政府高官はあえてこうした批判が出ることを承知で発言したのではないかと思います。そして、それに引っかかったのが朝日新聞だったのではないでしょうか。
高市政権になってからだけでなく、ここ数年、特にウクライナ戦争が勃発して以降、日本をどう守るかという議論は様変わりしてきたように思います。
ウクライナ戦争を見ると、「自分の力で守らない限り、他国は守ってくれない」という考えが浸透してきたように感じます。実際に、ウクライナに兵器を供給してはくれますが、兵を出してはくれません。また、供給される兵器も、必ずしも最新鋭のものばかりではありません。
ウクライナは旧ソ連が崩壊した際、数多くの核兵器を保持していましたが、それらをすべてロシアに返還しました。もしウクライナがその一部でも保持し続けていれば、ロシアも侵攻は難しかったのではないか、という意見があります。反撃として核兵器を使用されるリスクは、侵攻側にとって極めて大きな脅威だからです。
こうしたウクライナの状況に照らして今の日本を考えると、本格的に日本が攻撃された際、米国は果たして「核の傘」で守ってくれるのだろうか、という疑問が出てくるのも不思議ではありません。
例えば、もし某国が日本に対して核兵器を使用した場合、米国はその報復として某国に核を打ち込んでくれるでしょうか? おそらく、そうはしないでしょう。もし実行すれば、米国は某国と本格的な核戦争に発展してしまいます。米国がそこまでの危険を冒すとは考えにくく、むしろ現在ウクライナ戦争に対応しているトランプ大統領のように、大統領が両国に停戦を説得し始めるのではないでしょうか。しかし、たとえ停戦になったとしても、核を打ち込まれた日本が元の姿に戻ることはできません。百万単位の命が失われてしまうのです。
政府高官の発言をきっかけに、核兵器保持に関する議論が公の場に引き出されました。
日本は核を持つべきか、持たざるべきか。「唯一の戦争被爆国だからこそ、核兵器を持ってはいけない」という意見と、「被爆国だからこそ、再び標的になるリスクを避けるために核を持つべきだ」という意見。これからさまざまな場面で、これら二つの考えが交錯していくことになるでしょう 。
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