2020年6月16日火曜日

「”感染撲滅”は正しいか?」:NHKラジオ_三宅民夫の真剣勝負

NHKの朝のラジオで「三宅民夫のマイあさ!」というのがある。7時25分からの始まる。昨日、医療人類学者・磯野真穂さんが登場した。興味深い話だったので、その内容を紹介したい。メモを取ったのだが、私の勘違いが一部あるかもしれないので、その点は勘弁してください。(Qは三宅氏の質問、Aは磯野さんの回答)

Q: 医療人類学から考えると、新型コロナが社会に及ぼしている今の状況というのはどのようなことか?
A: 少々リスクヘッジが過剰になっている部分があると感じる。
例えば、日本小児科学会の提言によると 0歳から18歳の感染リスクはかなり低いはずなのに 小学生にマスクだけでなく、フェイスガードまでつけさせて授業するというもの。あるいは、空手道場で 試合を出さず、心で試合をいれろというようなことなど。また、政府の出している新しい生活様式では、(一般向け)横並びにすわって食べて、おしゃべりは控えめに。こういうものは、ちょっと行き過ぎではないかと感じてしまう。
Q: こういう過剰さの先にどういうことが心配か?
A: 人間は交流し合う生き物だと思う。付き合うとことに本質がある我々が、批判されることを気にしすぎするあまり、こうした人間が生きる事の本質まではずしてしまう。これは問題だと思う。
Q: 自粛警察など。そういう面がある。
A: コロナウイスルでの報道のあり方で気になることがある。たとえば、5/27付の東京新聞の報道など。都内でコロナウイルスに感染した人が10人いて、そのうち20代が半分だった。そうすると、若者の行動は危険だと決めつけた報道になる。これなども、20代は全国で1千万以上いるので、たった5人の感染でで過剰な報道ではないか?こうした若者をターゲットにする報道も不必要な危機を煽っているような気がする。
こういう行動には、行政や報道などのコロナウイルスに対する過剰なリスクヘッジがあるのではないか。それが言葉などに現れてきている。その結果として、差別とか中傷などの行動が出てきている。結果として、過激な言葉が行き交っている。そして、それが実際に誰かを傷つける。
Q: いい意味では、注意喚起の意味もあるのだが、一方で差別や中傷が発生してきている。コロナ売りするだけの現象か?
A: こういう現象はコロナウイルスだけの話ではない。人類学的に言うと、誰かを攻撃して排除していくというのは、古典的なことで昔からあったこと。
例えば、中世ヨーロッパでは、ある時期、ハンセン病で隔離されている人を見ると、ハンセン病でない人たちも含まれていた。その多くの人が貧困層だった。つまり、ハンセン病でなく、それにかこつけて、貴族層が貧困層を危険視し、それを排除するためにやっていた。
危険に対して注意喚起というのも必要だが、それが差別や偏見を助長している面がある。
感染の危険から社会を守るというと、誰も反対できない。それを錦の御旗にして、過去に社会秩序を乱されているとみなされていた人たちが、ターゲットになっている。
Q: 素朴な疑問として、医療従事者やその家族に向けても差別や中傷が行われた。こういう人たちは命を救おうとしている人たちなのだが?
A: リスクということを考えると、医療従事者はある意味、危険な人たちで、その人達に近づかないのが安全ということになってしまった。それがそのまま差別や中傷になってでてしまった。危険なものには近づかないという判断をとってしまう。これはおかしな意味で合理的な考えである。
リスクヘッジが行き過ぎると、どうしても人権とバッティングしてしまうことがある。今回はリスクヘッジと人権への配慮のバランスが取れていなかった。
Q: それを減らしていくためには、どのようなことが必要か?
A: 道徳的観点からそういう事をするなと言うが、それよりも、報道とか行政が、皆が安心できるメッセージを積極的に出していくべきだと思う。
(埼玉で行われた)格闘技大会はパッシングを受けたのだが、あの大会で(明らかな)クラスターは発生しなかった。こういうケースでは起こらなかったと報道しないといけない。こういうケースでは発生していないというバランスの取れた報道がほしい。
注意喚起だけでなく、こうやると起こらなかったという安心できるメッセージも出すべきだ。出す側するからすると、みんなに安心させておいて、何か起こるとお前のせいだと責められる恐怖もある。感染者が出てしまうとお前のせいだと言われてしまうので、それが嫌で、注意喚起で厳しいメッセージを出してしまう。しかし、責任者やリーダーの人たちは、安心できるメッセージを出すことも考えてほしい。
Q: 過剰なリスクヘッジに我々はどうしたら良いか?
A: 少しは出てくるのは仕方がないというように、ゼロリスクは諦める。こいう事態では、絶対出したらいけないというゼロリスクに走ってしまう可能性がるのだが、それでは駄目だ。過激な批判に答えるための そこまでの過剰な批判に答えるためのリスクヘッジを考えていく。置き換えて批判に対するサポートを作り上げていく。対策を、医療専門家と協力しながらつくりあげていく
Q: 今後の議論を可能にする、考えるべきこといちばん大事なことは何か。
我々は絶対にに出しちゃいけないというゼロリスクの方に走ってしまう可能性がある。そうではなくて、出てしまうことはしようがない、ゼロリスクは諦めるという考え方をする。過激な批判が出てくるが、そこまでの過剰な批判にたえることを、医療従事者などの専門家と考えていく。中間の議論を可能にする、ゼロか百ではなく、柔らかい気遣いを込めたリスクヘッジを行っていく。例えば、どんな時でもマスクをしていないといけないではなくて、どういう時にはマスクを外していいですよ。そういう柔らかい対応を考えていくことが大切である。

私はこういう話がもっと早い段階で出てきておれば、経済的な混乱などいろいろの問題は発生しなかったのではないかと思う。死者ゼロ、感染者ゼロでないと駄目というのではなく、出てもいいじゃないか。できるだけ、対応していこう。そういう柔軟な姿勢が必要なのではないかと思う。結局、コロナウイスルデの感染者数をゼロにしても、そのために他のことで大きな犠牲が払われるのは良くない。


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